2015年08月14日

まさにブーメラン

次の記事を読んで笑ってしまいました。
同時にふざけるなと怒りを感じました。
次の産経の記事をお読みください。

「総理の資格ない」 歴代5人、安倍首相に提言
聞社や放送局の元記者ら約50人でつくる「歴代首相に安倍首相への提言を要請するマスコミOBの会」は11日、歴代首相5人の提言を公表した。安全保障関連法案の成立を目指す安倍首相を「立憲主義に反し、民主主義国の首相としての資格はない」(菅直人氏)などと批判している。.

 同会によると、7月に首相経験者12人に要請文を送り、菅氏のほか細川護煕、羽田孜、村山富市、鳩山由紀夫の4氏が応じた。提言は首相官邸に郵送する。
 
この4人、総理の資格がないどころか、有害だったバカばかり

posted by bhycom2 at 17:41| 東京 ☁| 政治 | 更新情報をチェックする

2015年08月13日

日航機事故

昨年の日航機事故の関連記事を再度アップします。
1年たっても新しい情報や動きがあったわけではありませんが、知人で亡くなった人もいるし、家内がJALの客室乗務員であったことから、身近な事故として、どうしても報道されていることがすべての事故であったとは思えないのです。
昨年書いた2つの記事を再度ご覧いただければ幸いです。
 
@日航ジャンボ墜落から29年
8月12日。
この日を迎えると30年前の記憶がよみがえります。
その当時、私は兵庫県の芦屋市に住んでいて、同じマンションに住む住人や、あるいは知り合いでこの事故の犠牲になった人は多く、とても他人事とは思えず、事故当日のことを鮮明に覚えています。
確か、夕食を取っていたとき、テレビでJALのジャンボ機が行方不明との一報をテロップで知りました。
私も当時、この時間帯のJALをよく利用していて、あまりにも身近なことで、早朝までテレビを食い入るように見ていました。
今でも、おかしいと思ったのは、確か0時ごろに一旦、墜落現場発見というニュースが出たのに、その後数時間、墜落現場は特定できていないというニュースも出てきて、情報が錯そうしました。
結果、次の日の早朝墜落現場が御巣鷹山と特定され、まさに地獄絵の現場が報道されるのです。
ただ4人の方が助かったのは朗報でしたが、史上最大の航空機事故でした。
 
でも、この事故の原因はうやむやになっています。
ネットで日航ジャンボ機の謎とでも検索すれば、ものすごい数のサイトがヒットします。
いくつかのサイトのURLを紹介します。
・JAL123便日航機墜落事故の真相は核兵器運搬の証拠隠滅だった!日本は既に核武装国である!
 自衛隊、米軍、ロシア軍が死闘の末全機撃墜される!想像を絶する軍事衝突の真実とは?
 http://www.news-us.jp/article/286164530.html
・1985年日航ジャンボ機墜落の謎
 http://blog.goo.ne.jp/nvno/e/6bd057e7c6f8319052304ad681ca3e4d
・JAL123便 日航機墜落事故の真相
 http://ugyotaku.web.fc2.com/JAL123Sinsou/JAL123Sinsou.htm
・日航ジャンボ機墜落事故、ボイスレコーダー「オールエンジン」の謎を解く【時事邂逅】
 http://webdirector.livedoor.biz/archives/52617408.html

9・11同様、私は陰謀論者と言われても、この事件だけは、素直に単なる航空機事故だったとは思えないのです。

AJAL123便日航機墜落事故の真相は核兵器運搬の証拠隠滅だった!日本は既に核武装国である!
今日のタイトルは前回の記事で紹介したサイトのタイトルです。
http://www.news-us.jp/article/286164530.html
 
読んでいただいた方もいらっしゃると思いますが、謀略史観と言われても、ぜひご一読いただきたい部分がありますので、その部分を転載したいと思います。

JAL123便の真実
核兵器に使うプルトニウムが、長野県にある極秘の核施設で取り出されているという話を聞いて、私にはピンとくるものがありました。それは1985年8月に起きた、JAL123便の墜落事故との関連です。この墜落事故は実は、金属疲労による事故ではなく、自衛隊と米軍による戦闘の結果でした。一連の事件を目撃した地元の人々が、何度も入山して航空機の残骸を拾い集め、25年以上にわたって調査を続けた結果、見つかったのは123便の機体だけではなく、米海兵隊所属のプロペラ機RC-130の着陸装置、地対空ミサイル・レッドアイの弾頭部分、黒い塗装で偽装した米空軍所属F-106の機体破片など、膨大な量の残骸だったのです。
JAL-123便が撃ち落された主な理由は、アメリカが誘導した円高に反対していた関西財界の大物4人を暗殺するためでした。1985年8月、アメリカは日本に対して「円高にしてほしい」と申し入れましたが、関西財界の大物4人が強く反対し、再度の話し合いでも物別れに終わりました。しかしこの事件には、実はほかにも理由がありました。実は、123便は「核」を積んでいたというのです。国内で製造した核を積んで大阪に運び、大阪港からどこかへ積み出す予定であったというのです。
アメリカは、日本が密かに核兵器を製造していることを疑っており、その証拠を押さえたいと内偵していたところ、JAL123便で運ばれるという情報をキャッチし、現物を押さえるために黒い塗料で偽装した所属不明機でJAL機を付け狙いました。日本にしてみれば、アメリカを出し抜こうとして核兵器を秘密裡に製造していたので、現物を押さえられると非常に困ります。そこで機体もろとも海中に沈めてしまおうということになり、海上で米軍機に撃墜されるように仕向けたのでした。

しかし、JAL機の機長は思いのほか優秀な人でした。
日本政府は、JAL機側には積み荷の中身を伝えておらず、ただ「貴重なものである」ということで、ベテランのパイロットの搭乗を要求しました。そこで自衛隊出身であり、飛行技術に長けた腕利きのパイロットである「高濱雅巳操縦士」をその任に就かせました。彼は戦闘訓練を積んでいるので、米軍によって尾翼が破壊された時点で、すでに人為的攻撃であることに気づいたようです。すぐさま、高度1000メートル以下の超低空飛行へと切り替えました。この高度ならレーダーに捉えられないからです。ただしそのために、以後、123便は管制レーダーからは消えてしまい、周辺の航空管制官はJAL機を助けたくとも、その機影を追うことさえできなくなりました。ですから異常発生後の正確なルートは、今もってわかりません。(※註:破壊されたのは尾翼ではない可能性大)
その後の事故調査の状況から推察すると、羽田にも降りられず、横田基地にも降りられず、海上着床の望みも絶たれ、行くあてを失ったJAJ123便は、突如として現れた自衛隊機に誘導されて、長野方面に向かったようです。機長にしてみれば、「これで助かった」と思ったでしょう。ところが自衛隊機は、JAL123便を助ける気など、さらさらありませんでした。米軍にかぎつけられたことを知り、証拠品である「核」を消すために、追って来ている米軍機だけではなく、JAL123便の乗客もろとも、すべてを消し去ろうとしていたのです。
自衛隊機は逃げまどうJAL123便を誘導し、秘密基地のある高天原(たかまがはら)まで誘い込み、待ち構えていた地上部隊のレッドアイで米軍機もろとも撃墜しました。こうしてJAL123便は、高天原山中にある御巣鷹山(おすたかやま)の尾根へと墜落したのです。そのやり方は徹底しています。JAL123便とそれを追っていた米軍機はもちろん、誘導した自衛隊機、それに諜報活動中であったNSA(米国家安全保障局)の偵察機、さらに異変を察知してついて来ていただけのロシア軍のスホーイまで、ことごとく撃ち落したのです。・・・。

自衛隊は墜落後も徹底した証拠の隠滅を行いました。
事故直後から「おかしい」と気づき、山に入って調査した人がいて、当日、山を縦走していた登山者らの目撃情報などを聞いて回り、その謀略の一端をつかんでいます。それによると、登山者らが墜落現場近くに入った午前2時ごろには、助けを求める人々の声が多数聞こえていたそうです。しかしながら現場は険しい斜面の場所でけもの道さえなく、なかなか近づくことができません。そのうちヘリコプターが飛んできて、何かを撒いたとたん、それまで聞こえていたうめき声や物音がピタッとやみ、あたり一帯に静寂が訪れたそうです。
このヘリコプターの行動について、生存者を残さないために、現場にフッ化ホウ素を撒いたのではないかと、複数の専門家たちが分析しています。その後、事故を目撃した地元の有志たちが生存者を救うべく入山しようとすると、すでに自衛隊がバリケードを築いており、近づくことができなかったと証言しています。なぜ最も近くにいた地元住民より、自衛隊が先に現場に到着していたのか。それが事故ではなく撃ち落したものだということを、如実に物語っています。おそらくその時すでに、核兵器の残骸などの「証拠品」は回収され、闇に葬られたのでしょう。

何が真実で、誰が見方で、敵が何者か、その実態は正確にはつかめませんが、大きな陰謀が存在することは確かのようです。ちなみに、JAL123便が墜落したのが8月で、その翌月の9月に、ニューヨークのプラザホテルで先進5カ国(G5)による合意がなされました。世に言う「プラザ合意」です。アメリカを救うべく、円高ドル安への国際協調が取り決められましたが、日本は想定される円高不況を乗り切るために、金融緩和へと動きました。つまり公定歩合を下げ、低金利政策を採用し、通貨供給量を大幅に増加させ、社会にお金がジャブジャブだぶつくようにして、景気後退を防ごうとしたのです。
その結果、日本は狂乱のバブル景気へと突っ走ることになりました。


この記事を読んで、紹介したくなったのは2つの理由からです。
一つは事故当日の記憶をたどったとき、なぜ墜落現場が早い段階で特定されたはずなのに、5〜6時間も隠さねばならなかったのかと疑問に思うからです。
そしてもう一つは、日本は現在もアメリカの属国で、まだ自主独立などしていないわけですが、最近の政治家や官僚たちは、自らの保身のため、ほぼこの現状を仕方ない日本の運命だと考えてしまい、変えるような度胸がある者はいなくなっています。
でも、事故当時はまだ、アメリカに怒り、アメリカの横暴に対抗しようとする度胸ある人物がいたと思っていて、実質的な核保有国を目指していたということを、あながち妄想の世界とは言えないと思うのです。
今日紹介した記事は次の本からの引用です。

ついに宇宙人が最終戦争後のシナリオを用意しました [ 田村珠芳 ] - 楽天ブックス
ついに宇宙人が最終戦争後のシナリオを用意しました [ 田村珠芳 ] - 楽天ブックス
posted by bhycom2 at 01:58| 東京 ☁| 社会 | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。